八代城の学習にお役立てください!
令和6年7月から市博物館は長期休館しています。市博物館常設展示室には、八代城の精巧な模型がありますが、休館中はごらんいただくことができません。そこで、この模型画像を用いて、八代城について学べるページを作りました。ご活用いただき、八代城学習にお役立ていただければ幸いです。
〇八代城本丸について(外部リンク・PDFファイル)
本丸には、大天守とそれに連結した小天守がありました。大天守は4階建てに地下1階の4層5階構造であったと考えられています。しかし、寛文12年(1672)の落雷により焼失。その後一度も再建されることはありませんでした。
〇八代城二の丸について(外部リンク・PDFファイル)
二の丸は、松井家の役場(会所)や学校(教衛場・伝習堂)、馬屋などがあったところで、現在は八代市役所や熊本総合病院駐車場になっています。熊本総合病院駐車場南側には、石垣の一部が残っています。また、本丸東側(八代市役所側)にかけられた欄干橋が本来の本丸への入り口です。
〇八代城三の丸について(外部リンク・PDFファイル)
三の丸は、重臣の屋敷と永御蔵(米蔵)が置かれていました。永御蔵の建物は、現在、春光寺(古麓町)に移され、今もその姿を見ることができます。
〇北の丸について(外部リンク・PDFファイル)
北の丸は、城主や一族の邸宅があったところで、現在、松井神社が建っています。細川三斎時代の茶庭がほぼ当時のまま残っています。
〇出丸について(外部リンク・PDFファイル)
出丸には、細川三斎が織田信長を供養するために建てた泰巌寺という寺院がありました。今も信長供養の五輪塔が残っています。
現在、八代市役所の西側に残る城跡は、3代目八代城本丸跡です。松江城とも呼ばれ、大地震で倒壊した麦島城にかわって、麦島対岸に位置する松江村に新たに築城され、元和8年(1622)に竣工した城です。加藤家の改易後は、細川三斎(忠興)が隠居城として入城します。三斎の没後、正保3年(1646)には、細川家筆頭家老の松井興長が八代城主となります。以降、明治3(1870)の廃城まで松井家が代々在城し、現在に至ります。
〇八代城の歴史について こちらのページもぜひごらんください。
旧博物館ホームページ「行ってみよう!八代城」のページ
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旧博物館ホームページ「八代城」のページ
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