所在地・・・平山新町
南北朝の初め、八代荘の代官・内河義真(うちかわよしざね)が、初めて八代城の支城として築城した山城で、正平13年(1358)頃から松岡氏が代々在城しました。
寛正6年(1465)、相良長続(さがらながつぐ)は名和顕忠(なわあきただ)から高田郷350町を分譲され、平山城をその家臣団に守らせました。そして長続の子為続(ためつぐ)の代には修築を盛んに行ない、この城を八代進出の足場としました。相良氏は文明16年(1484)に八代郡を領有してからも、代々平山城を重視していました。
戦国時代末には、相良家家臣の東越後守(ひがしえちごのかみ・右衛門佐【えもんのすけ】)が、天正のころは同じく桑原和泉守広政(くわばらいずみのかみひろまさ)が城主として在城しました。天正10年、島津勢の肥後侵入により没落し、その後は島津の武将が在城しました。
名称・・・平山城跡(ひらやまじょうあと)
指定ランク・・・市指定
種別・・・史跡
指定年月日・・・昭和40年4月12日
時代・・・4〜16世紀・南北朝〜安土桃山時代
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