所在地・・・本町1丁目3-28 浄信寺
加藤正方は、加藤清正の重臣加藤可重(よししげ)の次男で、加藤忠広(かとうただひろ)に仕え、父可重の跡を次いで阿蘇内牧(うちのまき)城代を務めた後、慶長17年(1612)八代城代となって麦島城に移りました。元和5年(1619)地震による麦島城崩壊後、松江の地に新しい八代城を再建し、現在の八代市中心部の原形がこのとき形作られたといえます。
寛永9年(1632)、忠広の改易にともない京都本国寺に隠棲し、片岡風庵と名乗りました。正保元年(1644)8月、安芸松平家に預かりの身となり、慶安元年(1648)9月、69歳で没しました。
本画像は、加藤可重・正方父子の菩提寺である浄信寺に伝存するもので、作風から江戸時代後期に活躍した肥後藩細川家の御用絵師矢野派の絵師によって描かれたと考えられます。
鋭いまなざしと凛々しい表情が印象的な肖像画です。
名称・・・加藤正方画像(かとうまさかたがぞう)
指定ランク・・・市指定
種別・・・有形文化財(絵画)
指定年月日・・・昭和40年5月18日
法量・・・縦83.5cm 横33.2cm
品質・形状・・・紙本著色 掛幅装
時代・・・江戸時代後期
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