所在地・・・本町1丁目3-28 浄信寺
加藤可重(かとうよししげ)は加藤清正の同族で、清正が肥後の領主になると家老職を務め、阿蘇内牧城代となりました。慶長9年(1604)8月28日に没し、行年未詳。法名は了覚院殿浄信日敬居士。はじめ内牧東北山麓に葬られましたが、その子正方(まさかた)がその菩提を弔うため同地に浄信寺を建立しました。同17年、正方が幕府の命により八代城代となると、同寺も八代に移されました。
作者は不明ですが、没年から程遠くないころの制作と思われ、肩衣袴姿の肖像画はこの時期の新しいファッションで、加藤家一族の進取の気風をうかがわせます。小幅ながら、生き生きとした面貌表現に見どころがあり、この時期の肖像画中の傑作に数えられる注目すべき作例です。
【銘文】
紙本著色 掛幅装
画面墨書
「了覚院殿浄信居士」
「慶長九甲辰仲秋廿八日」
名称・・・加藤可重画像(かとうよししげがぞう)
指定ランク・・・市指定
種別・・・有形文化財(絵画)
指定年月日・・・昭和44年10月11日
法量・・・縦69.8cm 横34.8cm
制作時代・・・江戸時代初期
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