所在地・・・八代市北の丸町1-29
⼋代市⽴第⼀中学校校庭の一角、「泰勝院(たいしょういん)‧宗雲寺(そううんじ)‧泰巌寺廃寺跡(たいがんじはいじあと)」の敷地近くに、細川三斎(ほそかわさんさい)が織田信⻑(おだのぶなが)を供養(くよう)して建てた五輪塔(ごりんのとう)があります。
寛永(かんえい)9(1632)年、細川家が豊前国(ぶぜんのくに)(現在の福岡県東部及び大分県西北部)から肥後国(ひごのくに)へ⼊り、藩主(はんしゅ)・細川忠利(ほそかわただとし)の⽗・忠興(ただおき)(三斎)は⼋代城に⼊城しました。
泰厳寺(たいがんじ)は、忠興が信⻑の供養のため、信長の七回忌に丹後国宮津城下(たんごのくにみやづじょうか)(現在の京都府宮津市)に創建された寺で、信長の三十三回忌に、当時忠興が城主であった豊前国⼩倉城下(ぶぜんのくにこくらじょうか)(現在の福岡県北九州市)に移されました。その後、忠興が八代に移ると、寺は寛永10(1633)年に⼋代の平河原町(ひらがわらまち)に移され、最終的に八代城内の出丸(でまる)西側へ移されました。泰厳寺の名は、信長の法号「総見院殿泰厳信齢大居士(そうけんいんでんたいがんしんれいだいこじ)」にちなんだものです。
この五輪塔は、寛永10年(1633)に三斎が泰厳寺に建てたものです。五輪塔を構成する「空輪(くうりん)」「風輪(ふうりん)」「火輪(かりん)」「水輪(すいりん)」「地輪(ぢりん)」のうち、地輪左側に「織⽥将軍去遊(きょゆう)四⼗九歳天正(てんしょう)⼗年六⽉⼆⽇」、地輪裏⾯に「寛永(かんえい)⼗年六⽉三⽇」「細川参議敬建(けいけん)」と記されています。上部の⾵輪‧空輪は失われていますが、⽔輪・地輪の四⾯に刻まれた梵字(ぼんじ)は、彫りが深く⾵格があります。
名 称・・・・織田信長墓 五輪塔(おだのぶながのはか ごりんとう)
指 定・・・・市指定
種 別・・・・有形文化財・建造物
指定年月日・・・・昭和40(1965)年5月18日