所在地・・・北の丸町

八代市立第一中学校校庭東南隅の「泰勝院・宗雲寺・泰巌寺三廃寺跡」敷地内に、細川三斎(細川忠興)が信長を供養して建てた五輪の塔があります。
寛永9年(1632)、細川家が豊前国から肥後国へ入り、藩主細川忠利の父忠興(三斎)は八代城に入城しました。忠興(1563~1645)の妻・玉子(ガラシャ)は明智光秀の娘で、その縁組は織田信長の仲介によります。忠興が信長追福のため、丹後国宮津に創建した泰巌寺(信長の法号「総見院殿泰巌信齢大居士」にちなむ)は、豊前小倉を経て、八代の平河原町に移され、のちにこの地へ移されました。
この五輪塔は、寛永10年(1633)に三斎が建てたもので、凝灰岩製で、地輪正面に「織田将軍去遊四十九歳 天正十年六月二日」、裏面に「寛永十年六月三日」「細川参議敬建」と記されています。