
高田焼平山窯跡

高田焼平山窯跡の説明板の状況
⾼⽥焼は⼋代焼、平⼭焼(ひらやまやき)とも呼ばれ、荒尾市、南関町、熊本市などの県北部で焼かれる⼩代焼(しょうだいやき)とともに肥後の代表的な近世陶器です。
⼋代焼は、朝鮮半島から渡来し、豊前(ぶぜん)の上野焼(あがのやき)の祖として知られる陶⼯・尊楷(そんかい)(上野喜蔵(あがのきぞう))が細川忠興(ただおき)に招かれ、寛永(かんえい)9(1632)年、⾼⽥の⽊下⾕(きくだしだに)に奈良⽊窯(ならぎかま)を築いたことに始まります。
平⼭窯は斜⾯に築かれた登窯(のぼりがま)で、全⻑約20m、8室の焼成室と焚⼝からなっています。県内では、最も遺存状態の良い近世陶磁器窯跡の⼀つであり、貴重です。