所在地・・・妙見町 谷2445 宗覚寺境内
忠正の父は加藤清正・母は菊池武宗の娘本覚院で、清正の長男が早世したので嫡男として慶長4年(1599)に江戸で生まれました。
幼名は熊之助といい、後に将軍秀忠が一字を与え忠正と名乗らせました。
慶長12年(1607)正月疱瘡にかかり、秀忠から名医を遣わされましたがその甲斐なく、27日に江戸屋敷で9才の若さで亡くなりました。
ある夜、忠正は両親の夢枕に現れ、「私は北の方へ流れる谷川の近くで毎日遊んでいます。」といって指差しました。
清正はさっそく絵図面を開き、夢の場所を定め、忠正の遺骨をここに葬って高さ1.5mばかりの五輪塔を建てました。
法名は「理性院殿宗覚日等大居士」とし、翌年2月この墓所下に泉福山本成寺を建立して菩提寺としました。
寺領50石10人扶持(ふち)を寄付しました。
その後寺は八代城下に移され、延宝8年(1680)に宗覚寺を建て今日に及んでいます。五輪塔には「加藤主計頭宝塔」とあります。
名称・・・・・・・・・加藤忠正の墓(かとうただまさのはか)
指定ランク・・・・市指定史跡
種別・・・・・・・・・史跡・記念物
指定年月日・・・昭和40年4月12日
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