所在地・・・鏡町貝洲
文政4年(1821)七百町開が完成しました。
鹿子木量平は、百町開・四百町開・七百町開の氏神として加藤清正公の霊を勧請することを許されました。
本妙寺の僧であった渓玉院日珖上人が勧請の式をあげるためにこの地に来ました。文政5年9月22日のことです。
以後、日珖上人は「新地堅固、国土安全、五穀成就」の祈祷を続け、文政10年に亡くなりました。
この墓は、日珖上人の功徳のため僧家、村崎家の先祖の「最吉」によって建てられました。
名称・・・・・・・・・渓玉院日珖上人の墓(けいぎょくいんにっこうしょうにんのはか)
指定ランク・・・・市指定史跡
種別・・・・・・・・・記念物・墓
指定年月日・・・昭和51年5月29日
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