今泉製鉄跡は、江⼾時代末期の嘉永(かんえい)2年(1849)に操業を始めた⼋代城の御⽤製鉄所の跡です。
この遺跡⼀帯は、以前から鉄⼭床地(てつざんとこち)と呼ばれており、昭和53(1978)年の発掘調査によって、地中には溶鉱炉の下部構造(本床(ほんどこ)や⼩⾈)が良好な状態で残っていることが確認されています。
⽣産された鉄は、⼑剣や鉄砲の製作に使⽤されたり、⼋代城下の商⼈を通じて⻑崎⽅⾯へ出荷されていました。また、使⽤された砂鉄は、⿅児島県の⻑島(ながしま)から運んだものと伝えられ、⽊炭の原料となる⽊材は、地元の御⽴⼭(藩有林)から供給されました。製鉄に関わる職⼈は特殊な技術が必要だったため、ここの職⼈は、⽯⾒国(いわみのくに)(現在の島根県⻄部)から来た⼈が多かったことがわかっています。