所在地・・・坂本町大字西部ろ鉄山133
今泉製鉄跡は、江戸時代末期の嘉永2年(1849)に操業を始めた八代城の御用製鉄所の跡です。
この遺跡一帯は、以前から鉄山床地(てつざんとこち)と呼ばれており、昭和53年の発掘調査によって、地中には溶鉱炉の下部構造(本床や小舟)が良好な状態で残っていることが確認されています。
ここでは、鑪(たたら)製鉄と呼ばれる方法で、溶鉱炉に砂鉄と木炭を交互に入れて火をつけ、炉の両側に置いたふいごから送風して温度を上げ、鉄を作っていました。
生産された鉄は、刀剣や鉄砲の製作に使用されたり、八代城下の商人を通じて長崎方面へ出荷されていました。
使用された砂鉄は、鹿児島県の長島から運んだものと伝えられ、木炭の原料となる木材は、地元の御立山(藩有林)から供給されました。
製鉄に関わる職人は特殊な技術が必要だったため、ここの職人は、石見国(いわみのくに・現在の島根県西部)から来た人が多かったことがわかっています。
製鉄所は、明治10年(1877)頃閉鎖され、その生産規模や運営形態など不明な部分は多いものの、球磨川の水運と豊富な木材資源を利用した産業遺跡として貴重です。
遺跡の南側には「炭焼谷」と呼ばれる場所も残っています。
指定区分・・・・・県指定
指定種別・・・・・史跡
指定年月日・・・昭和57年8月28日
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