所在地・・・東陽町河俣字鹿路
嘉永元年(1848年)橋本勘五郎の父である、嘉八によって架橋されています。
同一年代に架橋されたのをあげますと、鹿児島の甲突川に武之橋(五連)が岩永三五郎によって架けられ、熊本の御船川目鑑橋が宇一と丈八により架けられ、地元では小浦地区に館原橋、今屋敷橋が種山組によって架けられています。
日本一の霊台橋が完成した明くる年なだけに、石橋様々と言ったように、種山石工集団が各所で活躍しています。
鹿路橋の20mほど下流に新鹿路橋が、昭和41年に架設されてから傷みがひどくなり、通行止めをしております。
名称・・・・・・・鹿路橋(ろくろばし)
指定ランク・・・・市指定
種別・・・・・・・・・有形文化財・建造物
指定年月日・・・昭和63年3月1日
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