所在地・・・東陽町小浦字重見

大正4年(1915年)に種山石工によって造られ、飾り気のない優しい橋として親しまれています。
入口にあった重見橋を男橋と呼び、奥に佇む松山橋を女橋と呼んでいたとの事。
丸味の頂点付近は壁石はなく輪石だけとなっており、素肌が見えるようです。
橋の下から輪石を数えると31段、互いに組み合い睦合いを感じます。
全体的に架橋時のままで、東陽町のシンボルとして多くの人に見ていただいております。
名称・・・・・・・・・松山橋(まつやまばし)
指定ランク・・・・市指定
種別・・・・・・・・・有形文化財・建造物
指定年月日・・・昭和63年3月1日
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