田川内第一号古墳は、縄文時代中期から後期にかけての貝塚の上に築かれている古墳です。地形測量の結果、直径約34m、墳丘高約4mの円墳と考えられています。割石を小口積(こぐちづ)みにした横穴式石室(よこあなしきせきしつ)を有しており、南西に開口部を持っています。石室の規模は奥行2.37m、高さ2m、幅2.06m~2.35mとなっています。
石室四方の壁の前面に石障(せきしょう)をめぐらし、内部に板石を立ててコの字形に仕切り、中央の通路から見て、西区(左側)・東区(右側)・北区(奥側)に三つの屍床(ししょう)を作っています。西区(左側)・東区(右側)・北区(奥側)の石障の前面に、それぞれ3個の二重円文、北区(奥側)石障手前の仕切り石に3個の円文、石室入口の石障に2個の二重円文が施されており、石室全体には赤色顔料が塗られていることも特徴的です。5世紀中ごろの豪族の墓だと考えられています。
江戸時代には石室が知られ、大正6(1917)年の発掘時には、腕に貝輪のはまった人骨5体のほか、ガラス小玉、剣、鉄斧、土器片等が出土しています。加えて、昭和35年(1960)年10月の発掘時には、人骨細片のほか、ガラス小玉、剣、刀等が出土しており、平成6(1994)年には、錣片(しころへん)・短甲片・鉇(やりがんな)等が表採されています。