郡築地区は、明治32(1899)年に当時の⼋代郡が⾏った八代地方最大の⼲拓事業により造成された⼟地です。昭和11(1936)年の⾼潮により郡築堤防が決壊する被害を受けたため、昭和12(1937)年から補強⼯事が⾏われました。
郡築⼆番町樋⾨は、昭和13(1938)年に新設されたもので、⽯造アーチ式3連樋⾨です。上部の壁体は⽯造りの布積(ぬのづ)みとなっており、⽯造の多連アーチ式樋⾨としては、⼋代平野に2箇所残るうちの⼀つであり、貴重なものです。
この郡築⼆番町樋⾨は農業樋⾨であり、その中でも⼤型な部類に⼊ります。また、この時期に築造された樋⾨としては、コンクリート造でなく⽯造であり、装飾的な点に特徴がみられます。現在、⻄側は新たに鋼鉄製の扉がつけられていますが、東側は築造当初のままです。この郡築⼆番町樋⾨は遺構と設計図が揃って残っている点でも貴重です。令和4(2022)年に「八代海干拓遺跡」として国指定史跡に指定されています。
名称・・・・・・・・・郡築二番町樋門(ぐんちくにばんちょうひもん)
指定ランク・・・・・・国指定
種別・・・・・・・・・記念物・史跡
指定年月日・・・・・・令和4(2022)年3月15日
法量・・・・・・・・・総延長約13m、幅約4.5m、高さ約5.6m
制作年・時代・・・・・昭和13(1938)年・昭和時代
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