所在地‥‥八代市郡築三番町
明治32(1899)年、当時の八代郡が行った八代地方最大の干拓事業である「郡築新地」に設けられた樋門です。明治33(1900)年から明治37(1904)年、郡築新地の潮止めのための堤防が造られた時、甲号(三番町)、乙号(七番町)、丙号(十一番町)という3基の樋門が建設されましたが、現在ではこの甲号樋門のみが現存しています。
この樋門は、当時熊本県技師で後年第五高等学校教授になった川口虎雄(かわぐちとらお)氏の設計によるもので、明治33(1900)年に着工し、明治35(1902)年に竣工しました。総延長約33m、幅約5.2m、高さ約6.1m、アーチ径約2.1mを測る石造アーチ式10連樋門です。石造の10連アーチ樋門は、全国にもほとんど例がなく貴重なものです。基本的な構造は砂岩を用いた切石造りですが、アーチ部には赤レンガが三重に積まれており、外観からは明治期の洋風建築の特徴が見られます。
現在、この甲号樋門は、昭和38(1905)年に新しい樋門が建設されてから、補助的な施設として残存しています。樋門の海側には南北1kmにわたって石積みの潮受堤防が残っており、樋門とともに八代海干拓事業の代表的遺構として歴史的に価値が高く、我が国を代表する明治時代の最大級の干拓遺跡です。
平成16(2004)年に国指定重要文化財に指定されており、さらに令和4(2022)年に「八代海干拓遺跡群」として国指定史跡に指定されています。
名称・・・・・・・・・旧郡築新地甲号樋門 附・潮受堤防(きゅうぐんちくしんちこうごうひもん つけたり・しおうけていぼう)
指定ランク・・・・・・国指定
種別・・・・・・・・・重要文化財・建造物、記念物・史跡
指定年月日・・・・・・平成16(2004)年7月6日、令和4(2022)年3月15日
法量・・・・・・・・・(旧郡築新地甲号樋門)総延長約33m、幅約2.5m、高さ約6.1m、アーチ径約2.1m (潮受堤防)全長約1Km
制作年・時代・・・・・明治33(1900)年~明治35(1902)年