所在地・・・八代市古閑浜町産島

産島は干拓が進む前は八代海上に浮かぶ石灰岩の小島でしたが、明治32年の郡築干拓によって現在のように陸続きとなりました。
昭和37年に島の南西部で貝塚が発見され、ハマグリ・アワビ・シジミ等の貝に混じって、縄文士器(押型文・曽畑式・夜臼式)の破片が出土しています。
また島内では、明治時代に3基の箱式石棺や人骨・鉄剣などが発見されましたが、そのまま埋め戻され、石塔建てて祀ってありました。
平成15年に2号石棺の調査が行われ、石棺の内部から、人骨2体・鉄剣・鉄鏃などが出土し、石棺の内部に朱が塗られていることがわかりました。
また、2号石棺付近にもう一つ石棺があることがわかりました。
このような古墳時代の石棺墓群は高島や大鼠蔵島などでも見られ、八代地方の古墳時代の特徴的な墓制の一つといえます。
また、明治時代・大正時代にはここで採れる石灰岩を窯で焼いて石灰を作っており、この窯の一部が島内に残されています。
名称・・・・・・・・・産島古墳(うぶしまこふん)
指定ランク・・・・市指定
種別・・・・・・・・・記念物・史跡
指定年月日・・・昭和38年4月20日
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