所在地‥‥水島(植柳元町)、八代海(鏡町北新地地先一般海域)、永尾剱(えいのおつるぎ)神社(宇城市不知火町永尾)
水島
水島は、球磨川河口の堤防から50mほど離れた場所にある小さな島です。古く『日本書紀(にほんしょき)』や『肥後国風土記(ひごのくにふうどき)』にもその名が見られます。
『日本書紀』では、景行天皇(けいこうてんのう)第18年4月の条に、「天皇がこの島で食事をなさろうとした際、水が無かったので、小左(おひだり)という人物が天地の神々に祈ったところ冷水が湧き出したので、それを天皇に差し上げることが出来た。そのため、この島を水島と呼ぶ。」という記述があります。
『万葉集(まんようしゅう)』には長田王(ながたのおおきみ)より、「聞きしごと まこと貴く くすしくも 神さびをるか これの水島(人の言うように、まことに尊く、不思議なほど神々しく見えることよこの島は)」と歌われています。長田王が水島を詠んだあとも、『続後撰和歌集(しょくごせわかしゅう)』、『夫木和歌集(ふぼくわかしゅう)』、『新続古今和歌集(しんしょくこきんわかしゅう』などにも水島を題詠とした歌が多数詠まれており、水島は肥後国における代表的な歌枕として認知されていたことがうかがえます。
その他、『枕草子(まくらのそうし)』の写本である能因本(のういんぼん)や、中世の八代を支配した相良(さがら)氏の家中日記『八代日記』にも、水島の記述を見ることができます。
不知火
八代海北部の東岸域には大規模な干潟(ひがた)が発達しており、旧暦8月1日(八朔(はっさく))の未明、海上に不知火と呼ばれる不思議な火が現れることで知られています。
『日本書紀』によれば、不知火の名称は、景行天皇の九州巡幸の際に八代海を渡航中、夜になり方角が分からなくなったため、遠方の火を目指して進むと無事に着岸でき、天皇がその火を訪ねたところ誰も知らなかったことに由来すると言われています。
中世には、『釈日本紀(しゃくにほんぎ)』や『謠抄(うたいしょう)』などに不知火の名が確認され、近世では『古事記伝(こじきでん)』や『髙子觀遊記(こうしかんゆうき)』などにも不知火の記述を見ることができます。
水島と共に、天皇巡幸故事にまつわる一連の景勝地として国指定名勝に指定されています。

不知火現象発生の象徴的海域
名称・・・・・・・・・不知火及び水島(しらぬいおよびみずしま)
指定ランク・・・・・・国指定
種別・・・・・・・・・記念物・名勝
指定年月日・・・・・・平成21(2009)年2月12日