木馬(きんま)が妙見祭の神幸行列に出るようになったのは、元文(げんぶん)2年(1737)、八代城の御馬屋頭(おうまやがしら)をつとめた井坂十蔵(いざかじゅうぞう)が、八代城主松井家の七代目寿之(ひさゆき)の七十歳を祝って、五頭の「作り馬」を出したのがはじまりです。
その後、次第に数も増え、19世紀はじめに描かれた「妙見宮祭礼絵巻(みょうけんぐうさいれいえまき)」には、12頭の木馬が描かれています。これらは八代城下に住む商人の子どもたちで、それぞれ競うように贅(ぜい)をつくし、趣向(しゅこう)が凝らされています。
明治30年代前半までは、12頭が揃(そろ)って行列に参加していましたが、その後急激に減少し、昭和になってからは1,2頭が数回出るのみになってしまいました。これは、木馬が各家々の持ち物で、製作や修理、行列への参加に多額の費用がかかったためだと思われます。
しかし、昭和62年、妙見祭の振興(しんこう)を願う有志たち(青年会議所を中心とする木馬保存会【きうまほぞんかい】)によって復元され、今日では絵巻どおりの姿を見ることができるようになりました。
下の写真は、明治5年(1872)、八代町の豪商であった板屋(屋号)が特別注文して作ったもので、現在残っている中でもっとも古い木馬です。まるで生きているかのような精巧な作りで、幕末から明治初期に活躍した生き人形師松本喜三郎(まつもときさぶろう)の作と伝えられています。当時の豊かさと華やかさを伝える貴重な文化遺産です。
現存するもっとも古い木馬
八代市指定有形民俗文化財
明治5年(1872)
伝・松本喜三郎作 個人蔵
指定・・・市指定
種別・・・有形民俗文化財
指定年月日・・・平成2年3月12日
公開日・・・11月23日(妙見祭の神幸行事)
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