令和3年12月17日に開催されました国の文化審議会において、本市に所在する「八代海干拓遺跡」を国史跡に指定するよう答申が出され、令和4年3月15日付の官報告示で、正式に国指定史跡となりました。
「八代海干拓遺跡」の国史跡指定に伴い、本市における指定文化財の数は、国指定文化財12件(1件増)、県指定文化財27件(1件減)、市指定文化財195件、国登録文化財8件、国選択無形民俗文化財3件、国重要美術品3件となる見込みです(県指定史跡「大鞘樋門群」は今回の「八代海干拓遺跡」の国指定に伴い、解除となりました)。
江戸時代後期頃、肥後熊本藩は生産力向上のため、八代海沿岸各地で干拓を進めました。高島新地旧堤防跡は熊本県内最古の干拓堤防で、1816(文化13)年に、八代城代松井徴之の指示により高子原村と松崎村が築いた干拓に伴う堤防と樋門です。農免道路(県道338号)沿いに所在し、全長約85m、幅約9.4mの範囲が保存されています。祖割した石灰岩を使って、野面積みで築かれた堤防跡です。
藩主細川斉茲は八代・宇土・下益城3郡沖の2,600町歩干拓を計画しました。鹿子木量平はその計画に基づき、百町新地開、四百町新地開や七百町新地開を成功させていきました。
大鞘樋門群は、鹿子木量平と息子の謙之介によって、1819(文化2)年に四百町新地開の干拓に伴い作られた樋門です。元々5基の樋門がありましたが、現存するのは「殻樋」、「二番樋」、「江中樋」の3基です。「殻樋」は5連樋、「二番樋」と「江中樋」は3連樋の樋門で、いずれも精密に加工した砂岩が使われています。
「殻樋」は平成23年夏の大雨で、「江中樋」は平成28年熊本地震で被災したため、応急処置を行っています。
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大鞘樋門群「殻樋(からひ)」 ※平成23年大雨による被災前の状況 | 大鞘樋門群「二番樋」 | 大鞘樋門群「江中樋(ごうちゅうひ)」 ※平成28年熊本地震による被災前の状況 |
「郡築樋門群」
郡築干拓は、八代海最大の干拓で、1899(明治32)年に着工しました。当時の八代郡長・古城弥二郎の下、幾多の苦難を乗り越え、1904(明治37)年2月に潮止工事がなされました。
「旧郡築新地甲号樋門」は郡築干拓に伴い、1900~1902(明治33~35)年にかけて造られた樋門です。全長約31.5m、幅約5.2m、高さ約6.8mの石造アーチ式10連樋門で、国内最大級の樋門です。アーチ部分には煉瓦を3重に積み上げ、樋門本体は切石で造られています。平成16年に国指定重要文化財に指定されており、国史跡との二重指定となります。
「郡築二番町樋門」は、1936(昭和11)年に高潮で郡築堤防が決壊したため、1938(昭和13)年に堤防の決壊場所に新たに造られた樋門です。全長約12.5m、幅約4.5m、高さ約6.0mで、アーチ部分も含めて、石造の樋門です。平成6年に国の登録文化財となっています。
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旧郡築新地甲号樋門 | 郡築二番町樋門 |