やつしろ文化財さんぽ⑬
光圓寺の梵鐘
(こうえんじのぼんしょう)
◆熊本県指定重要文化財
◆平成22年8月20日指定
◆慶長19年(1614)
◆通町・光圓寺所蔵
12月2日は、八代城で晩年を過ごした細川三斎(さんさい【=忠興(ただおき)】、1563〜1645)の命日です。若い時織田信長に仕えた忠興は、15歳で信長の雑賀一揆討伐(さいかいっきとうばつ)に参戦し、一番乗りの手柄をあげて信長に褒められました。翌年、信長の命により、明智光秀の娘玉子(たまこ【=ガラシャ】)と結婚。光秀が起こした本能寺の変のとき、忠興は20歳でした。
梵鐘に彫られた銘文(めいぶん)によれば、忠興は信長を供養する寺(泰厳寺【たいがんじ】)を建て、信長の33回忌にあたる慶長19年(1614)、この梵鐘を造らせ、小倉にあった泰厳寺に寄進しました。寛永9年(1632)、忠興は八代城に入り、泰厳寺も八代城下へ移されました。
明治維新後、現在の八代市立第一中学校のところにあった泰厳寺は廃寺となり、梵鐘は忠興にゆかりのある光圓寺に引き取られました。表面に慶長19年(1614)、宝暦7年(1757)、明治24年(1891)の銘文があり、信長と細川家との深い絆を後世に伝えるため、多くの人が尽力してきたことがわかります。熊本の歴史や文化に大きな影響を与えた細川家ゆかりの作品として、県の重要文化財に指定されました。
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光圓寺の梵鐘 |