元和5年(1619)の大地震でそれまでの麦島城が崩壊したため、加藤正方が麦島城北方に新たに築いたのが八代城で、同8年(1622)に竣工しました。石垣に石灰岩を使用し別名白鷺城ともよばれます。加藤家改易の後、寛永9年(1632)細川三斎(忠興)が入城、正保3年(1646)には松井興長が入城し以後松井氏九代の居城となりました。一国一城令の例外として熊本城以外に認められた城で、八代の地が幕府から重要視されていたことがわかります。
現在に残る本丸跡は公園として整備され市民の憩いの場として親しまれており、春には桜の名所となります。