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岩永三五郎の墓(市指定)

最終更新日:

所在地・・・鏡町鏡村
岩永三五郎の墓.JPG
 三五郎は、寛政5年(1793)竜北町野津に生まれたといわれています。
 後に芝口に移住してきましたが、当時肥後の名石工といわれ、特にめがね橋の築造についてすぐれた技術をもっていました。
 七百町新地の干拓工事に参加し、三五郎井樋を築き、麓川にもめがね橋、暗渠等を工事し、氷川の薩摩堰の補修など、八代郡内をはじめ、布田保之助の矢部郷開発にも携わりました。
 天保11年(1840)頃、薩摩藩に招かれ、多くの業績を残しました。鹿児島城下に稲荷川および甲突川の改修、とくに甲突川の五大橋中、重要文化財に指定されている西田橋など特に有名です。
 嘉永2年(1849)薩摩藩から帰国し、嘉永4年(1851)59歳で、芝口でなくなりました。三五郎の墓所には、妻の三与、養子大蔵、母の墓もあります。鏡町にただ一つ残っている鑑内橋も三五郎の作と伝えられています。


名   称・・・岩永三五郎の墓(いわながさんごろうのはか)
指   定・・・市指定
種   別・・・記念物・史跡
指定年月日・・・昭和51年5月29日
地   図   岩永三五郎墓 Google Map別ウィンドウで開きます(外部リンク)
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