文化財さんぽ③
大鞘樋門群
(おざやひもんぐん)
〜江戸時代の干拓遺跡〜
◆熊本県指定史跡
◆平成17年6月8日指定
◆文政2年(1819)建造
◆鏡町両出・千丁町古閑出
大鞘樋門群は、鏡町と千丁町の間を流れる大鞘川にあり、北から殻樋(からひ)、二番樋(にばんひ)、江中樋(こうちゅうひ)の3基が残っています。
これらの樋門は、惣庄屋であった鹿子木量平(かなこぎりょうへい)の指導のもと、文政2年(1819)に潮留めが完成した四百町新地(現在の鏡町両出・千丁町古閑出付近)の干拓に伴い、潮の逆流を防ぎ干拓地の排水を行うために造られました。
樋門の周りを囲む石垣(鞘石垣)が、潮や川の流れに耐えられるように強固に造られており、人々は称賛の意味をこめて「大鞘樋門」と呼ぶようになったと伝えられています。
当初、樋門は5ケ所に設けられましたが、現存する3基のうち殻樋は、堤防と樋門上部の石垣をコの字型に組み、海側の石垣に巨石を用いる「備前流(びぜんりゅう)」という工法で造られ、二番樋・江中樋は「合法(がっぽう)」と呼ばれる「備前流」をもとに費用の削減や耐久性の向上等を考慮し改良された工法で造られています。
また、文政4年(1821)の七百町新地干拓の時、この樋門のあたりに小屋が作られ、出稼ぎ労働者が寝起きして干拓工事に従事しました。その際、「名所名所と大鞘が名所、大鞘名所にゃ水がない」と唄われ出し、郷土民謡「大鞘名所(大鞘節)」の発祥地となりました。
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殻樋 |
二番樋 |
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江中樋 |