所在地・・・北の丸町(八代第一中学校内)
八代市立第一中学校一帯は、八代城北の丸の外堀に面し、八代城に居城した細川氏・松井氏ゆかりの寺院があったところです。
寛永9年(1632)に八代城に入城した細川忠興(三斎)は、この場所に父藤孝(幽斎)菩提寺の泰勝院を小倉から移し、三斎没後は松井氏の菩提寺宗雲寺となりました。
延宝3年(1675)八代城下の平河原町にあった泰巌寺が雷火で焼失し、同5年に古麓に松井氏の菩提寺春光寺が創建されたので、宗雲寺を春光寺と一寺とし、跡地は泰巌寺となりました。
泰巌寺は、三斎が織田信長の菩提を弔うため、丹後国宮津に創建した寺で、その後、小倉から八代へと移されました。若き日の三斎は信長に仕え、三斎の妻の玉(ガラシャ)は明智光秀の娘です。
寺名は織田信長の法号「総見院殿泰巌信齢大居士」にちなんでいます。泰巌寺には、小倉時代に造られた信長供養の梵鐘と、八代に移ってから建てた五輪塔と灯籠がありました。明治に廃寺となった後、梵鐘は光圓寺(通町)に、本堂は浄沢寺(古閑中町)へ譲られ、それぞれ現存しています。
五輪塔は今もこの地にあり、「織田将軍去遊四十九歳 天正十年六月二日 寛永十年六月三日」「細川参議敬建」と彫られています。
織田信長菩提所の泰巌寺廃寺跡
細川三斎御荼毘所の甘棠園跡
名称・・・・・・・・・織田信長菩提所の泰巌寺廃寺跡(おだのぶながぼだいしょのたいがんじはいじあと)
指定ランク・・・・市指定
種別・・・・・・・・・記念物・寺社
指定年月日・・・昭和40年5月18日
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