所在地・・・敷川内町
名和義高は、建武の新政の恩賞として八代の荘を所領に賜るとすぐに、後醍醐天皇にお許しを願い、建武2年(1335)に敷川内村を出雲大社に寄進しました。
そして村の鎮守・田の河内関の守護神として出雲大社を村内に勧請し、社を建てました。
その最初の社地が「古宮床」として現在も鳥居の前に残っています。
その後社は永禄2年(1559)9月9日、山上の「殿の城」跡に遷座されました。
しかしわずか30年ばかりで社殿は焼かれてしまいました。
現在の社は延宝5年(1677)12月に殿の城に再興されたものです。
名称・・・・・・・・・志紀河内杵築宮と古宮床(しきがわちきつきのみやとふるみやとこ)
指定ランク・・・・市指定
種別・・・・・・・・・記念物・寺社
指定年月日・・・昭和40年4月12日
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