所在地・・・北の丸町
八代市立第一中学校一帯は、八代城北の丸の外堀に面し、八代城に居城した細川氏・松井氏ゆかりの寺院があったところです。
寛永9年(1632)、八代城に入城した細川忠興(三斎)は、この場所に父藤孝(幽斎)菩提寺泰勝院を小倉から移しました。泰勝院の本堂は、当時宮地にあった本成寺から譲り受けたもので、その返礼として八代城の高麗門が本成寺へ寄進されました。正保2年(1645)、八代で亡くなった三斎は、泰勝院内の甘棠園で荼毘に付されました。
正保3年(1646)、細川家筆頭家老松井氏が八代城に入ると、泰勝院の什物は熊本泰勝寺に移され、跡地は松井氏の菩提寺宗雲寺となりました。
延宝3年(1675)八代城下の平河原町にあった泰巖寺が雷火で焼失し、延宝5年(1677)には、古麓に松井氏の菩提寺春光寺が創建されたので、宗雲寺は春光寺と一寺となり、跡地は泰巖寺となりました。
泰巖寺は、三斎が織田信長の菩提を弔うため、丹後国宮津に創建した寺で、寺名は信長の法名「総見院殿泰巖信齢大居士」によります。若き日の三斎は信長に仕え、三斎の妻・玉(ガラシャ)は明智光秀の娘です。この場所には、寛永10年(1633)三斎が信長供養のために建てた五輪塔も残っています。
泰巖寺は明治に廃寺となりましたが、三斎が信長の三十三回忌に小倉で作らせた梵鐘(慶長19年・1614)が光圓寺(通町)に、本堂は浄沢寺(古閑中町)へ譲られ、それぞれ現存しています。
名 称 細川幽斎菩提所の泰勝院跡(ほそかわゆうさいぼだいしょのたいしょういんあと)
Hosokawa Yuusai bodaisyo no Taisyouin ato
指 定 市指定史跡
Yatsushiro City designated
種 別 記念物(史跡)
Monument (Historic site)
指定年月日 昭和40年5月18日 May 18,1965
制作年・時代 江戸時代
Edo period(A.D. 17th century)
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