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相良義陽の墓(市指定)

最終更新日:
所在地・・・古麓町上り山
相良義陽の墓.JPG
 古麓町飯盛山の裾、JR鹿児島本線と肥薩線が交差する地点から、急な石段を登りつめた所に相良家18代城主義陽の首塚があります。
 本来の位置は線路の場所であったが、工事によって現在地に移されています。
 義陽は相良晴広の第一子で、弘治元年(1555)に12歳で家督を継ぎました。相良氏は八代・球磨・芦北三郡と天草郡の一部を領有し、その勢いが盛んになろうとする時でありました。
 天正9年(1581)薩摩の島津義久は九州制覇をもくろみ、豊後の大友宗麟を討つため義陽をその先方として、大友方の重臣阿蘇氏の将甲斐早運との決戦を強いました。
 義陽は甲斐早運との和親の誓詞と、島津氏の威嚇との板挟みで相良家の将来を苦慮しました。その結果、意を決して出陣し、途中妙見社に戦勝を祈願して響野原(下益城郡豊野村)で甲斐早運と戦いました。
 しかし武運つたなく天正9年(1581)12月2日に響野原の露と消えました。享年38歳でありました。
 悲運の若将軍だった義陽。その子佐兵衛長毎(ながつね)が義陽の首をこの地に葬り、石碑を建てたものです。なお義陽の胴体は響野原に葬られ相良塚として祀られています。


名称・・・・・・・・・相良義陽の墓(さがらよしひのはか)
指定ランク・・・・市指定有形文化財
種別・・・・・・・・・有形文化財・建造物
指定年月日・・・昭和40年4月12日


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